「千と千尋の神隠し」(2001)を宗教的な観点から見てみた!

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今や世界中で有名となっているジブリ映画「千と千尋の神隠し」ですが、日本でもこの映画を観られた方は非常に多いかと思います。公開されてから今なおテレビでも時々見られ、その視聴率は初公開されてから16年も経った2017年の時点でも、何と18.5%を記録しているみたいですね!

さてこの作品ですが、その面白さはストーリーや場面設定やコミカルなキャラクターたちだけで構成されているのではないと知っていましたか?実は「千と千尋の神隠し」には宗教的な観点から見てもなかなか興味深い要素がてんこもりだったんです!!

そこで今回は、千と千尋の神隠しの面白さを神道などの観点から見てみようと思います!

〇忘れ去られてしまった信仰

覚えていますか?冒頭に出てきた大木のシーン。さらっと流さないでよくよく見てみると、真っ二つに割れています。日本の伝承や神話の観点から見るとこれ、雷が落ちた証拠なんだそうです。元来、「雷」という言葉は「神鳴り」(=神様だけが鳴らすことができ、鳴らしているもの)というところからきており、わざわざ木に落ちるということは、「神様が選んだ木」という名誉を賜るんだとか。だから、この大木の周りにはしめ縄が施されていたのですね。ですが一方でその木が全く手入れされておらず枯れ果てていて、しかも、神社の象徴である鳥居が立てかけられてすらありましたね。これはこの物語の中で「現代の人たちがすでに信仰というものを忘れてしまっている」ということを示唆しているみたいです。「神様のおうち」である、石の祠が地面に散らばっていたことも同じように説明できます。

〇トンネルを通り抜けるとそこは神様たちの世界

映画の一番最後で、ハクの「トンネルを抜けるまで振り返ってはいけない」という言葉があったのを覚えていますか?あの言葉は実は日本のイザナギ・イザナミ神話をもとにできた話ではないかというのが、考え方の一つになっています。そのお話とは、イザナミの死を悲しんだイザナギがわざわざ黄泉の国にまで赴き、イザナミを迎えに行くのですが、自分の姿を見ないでくれと彼女に懇願されたのにも関わらず「見て」しまいます。ですからここでも、トンネルを抜けるまで振り返るな、という言葉には「見るな(=真実を知るな)」ということが象徴されていると考えられます。

〇黄泉の国=神の世界

作中で湯婆婆が千尋こと千に向かって、「お客様の食べ物を食べてしまったのだから、親は生かして帰さない」的なことを何気なく言っていましたが、あれも日本神話の「黄泉の国」での「共食(きょうしょく)」という儀式のお話をなぞらえていると考えられます。共食は黄泉の国の食べ物を口にしてしまうと、現世には戻れないという儀式のことです。ここでいうお客様とは、もちろん湯婆婆が作中で言っていたように「八百万の神々」のことですし、日本人にとって神様とは霊と同じ存在であるため神の世界(=死の世界)で禁忌を犯してしまったと考えるのは妥当でしょう。

いかがでしたか?

今回は、映画「千と千尋の神隠し」を少し宗教的な観点から見てみました。

もし、少しでもこうした見方も面白いなと思っていただければ、ごくごく最近の映画「君の名は。」を分析してみてはいかがでしょうか?

もちろん「千と千尋の神隠し」自体、本当に本当に何回見ても面白い作品ですので、純粋に大人から子供まで楽しめること間違いなしです!

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山本昴

やまもとです。大学生です。基本プラス志向なので悪いことは言いません。 自分を表す一言は「経験のコレクター」です。

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